どうやら私は人を評価する事が苦手らしい。「今は人を評価/理解するとき?それとも評価/理解を保留するとき?」

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
にちょこっと反応。


一人歩いていたりするとき、人を評価している自分に出会うことがある
また、時々会話の中で人の評価を求められることがある。

他人を評価している自分に出会うといつもすぐに、次の疑問が頭に浮かぶ
「今、行っている活動は、本当に妥当な行為なの?」って
この疑問が出てくると、評価/理解の行為がとても不自然な行為に思えてくる。


私の頭の中は混沌として、他人にはうまく説明できないが、
ピグマリオン効果の順序逆転の話と、
傾聴の話と
過去?現在?未来?って話と
今、自分はセルフモニタリングスキルが十分に機能して、落ち着いて人を観れる状態なの?って疑問と
「人間」は「人」ではなく「人」と「間」でできているって話と
私が今持っている評価理解の基準のものさしそのものが貧弱じゃない?って疑問と
今は判断する時ではなく、エポケーの判断の保留する時では?の話と
連続?離散?って話と
考え過ぎでは?って話と
アフォーダンスって話と
量子力学の客観的な観測者なんてありえねぇーって話と
とその他よう分からん色んなものがごちゃ混ぜになって
評価/理解する行為に対して違和感を感じさせる。


人を評価/理解することは、私にとっては、とても難しい行為である。
「今は、人を評価/理解するとき?それとも、評価/理解を保留するとき?」


私の頭の中はごちゃごちゃしている。