「アジャイル」という言葉、そろそろ捨てるときがやってきたのか?

過激なタイトルになってしまったw
http://giantech.jp/wiki/2008-01-09_20-54
より連想.

開発者のみでなく、ソフトウェア開発に関わるすべての人に読んでほしい。しかしそう思えば思うほど、アジャイルという言葉が壁になっているような気がしてならないのは俺だけ?

同意してしまう私がいる.「アジャイル」の名前の変更は必要か否か?をぐだぐだ考えてみる.


アジャイル文化圏では「アジャイル」で名前が通っており、アジャイル文化圏を大切にするのであれば、そのままで良いような気がする.
が、別の文化圏を交えて共通の語彙つくりたいなら、『「アジャイル」の名前の変更』は自然に思える.なぜなら、進化的設計やリファクタリングといったアジャイル自身に見習うと、名前の変更はふつうのことだから.
しかし、ここまで私のソフトウェア開発者としてのアイデンティティに強く影響を与えているアジャイルという言葉.たぶん、私の回りの人にも大きな影響を与えているはず.ものすごくもったいない気がする.
だけど、アジャイル文化圏で培われた良いソフトウェア開発の習慣をもっと広く認知、体感、共感してもらい、次のブレイクスルーを導くには、名前の変更は必然のようにも感じる.
でも、しかし...


もし仮に、「アジャイル」という言葉を捨てて、別の名前にするなら、私なら「シンクロ」とか「同期」とか「調和」にするであろうか.まぁ、「同期」、「調和」じゃ、流行らんな.