infoQ

http://www.infoq.com/jp/articles/agile2008_who_do_you_trust
読み返した。

偏見の話を読むと、
コンサルタントというコンテキストであれば、コンサルタント主導の啓蒙主義の失敗と対策にコーチングとか何か、
学習する組織というコンテキストであれば、推論のはしごとの上り過ぎで対策にダイアローグとか何か、
ソフトウェアの要求周りでのコンテキストであれば、プログラマ、デザイナの金メッキの不要な機能のつくりこみで対策にフィールドワークとか何か、
経営というコンテキストであれば、会議室にこもったレポート情報の偏りと対策に歩き回りによる経営とか何か
などなどと色々連想する。


最近読んだErick Sinkの本であれば、技術的な宗教論争をユーザ的価値ある機能の優先づけに持ち込むとフキツな感じになることを指摘している。本質的にプログラマとユーザは異なる。

自分のメンタルモデルは、偏見が含まれているということを認めるといろいろ役だつ。
自己観察をしていると、心の中で他者に攻撃的な自分に出会う事は、ある。そんな自己のメンタルモデルを発見すると、「それは、事実に基づくものなのか?」「推論のはしごを上りすぎた偏見に基づくものなのか?」を自分に問うように気をつけている。


偏見に関するエピソードを多数もっているのは、認知心理学のほかに、文化人類学、哲学、歴史であろうか。
哲学であれば、フーコーの話は印象に残っている。