2つの「メンタルモデル」の言葉の使用

昨日 Copeの論文を社内で読んでた。途中「メンタルモデル」という言葉が出てくる。ちょっと論文と離れて「メンタルモデル」についてあれこれ考えてた。

過去に私が「メンタルモデル」という言葉を意識し出したのは2つの本で、2つで言葉の使い方に差異がある。

1つ目は、「誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)」。この本では、ドアのカタチや(多分)冷蔵庫の温度調整などを例に出し、「メンタルモデル」「アフォーダンス」という言葉を使って説明している。人があるモノ(例えばドア)に対して考えている期待する振る舞いと実際の振る舞いが大きく違ったとき、人々が困惑し、「うぎゃー!使えない!」と感じる。たぶん Copeの論文に出てくる のワープロでウギャーの例の「メンタルモデル」は、この言葉の使い方に近い。「うぎゃー!使えない!」と感じるより「うん!使える!」と思えるようにかたちづくる。連想して「驚き最小の法則」などの言葉が頭に浮かんでいた。余談だが、感情、感性に焦点をあて「愛着が持てる >>> 使える」という話は,ノーマンの後の本のエモーショナルデザインで展開されていた。


2つ目は、「学習する組織――システム思考で未来を創造する」。(人が過去に慣れてきた経験と異なる未知の事象に遭遇するシチュエーション。)人がある対象に対して考えている期待する振る舞いと実際の振る舞いが大きく違ったとき、人々が困惑する。のだが、既存のメンタルモデルを再考、既存の考え方や習慣を保留やアンラーニンングし、新しい習慣を獲得していく過程を「メンタルモデルの克服」として、その手順について説明している。


2つの差異の大きなポイントは、1つ目は利用者の「メンタルモデル」を基準にして、周りの環境(例えばドアのカタチ)を変えていくことに焦点が当たっているのに対して、2つ目は学習者の「メンタルモデル」に着目し、「メンタルモデル」(思考習慣や行動習慣)を変えていくことに焦点が当たっている。「メンタルモデル」の言葉の使い方の差異になるほどなぁと思っていた。