メタフィクションの虚構と現実の構図 と 学習する組織のメンタルモデルと現実世界の構図

SF小説メタフィクションというジャンルがある。
メタフィクションで時々見かける構図は次。

本の中の「虚構」が、本の中の「現実」に浸食するという構図。(また、この関係をずらして、本のストーリー(虚構)が、現実の読者の思考や身体的反応(現実)に浸食するという構図を取るようになっている。)


筒井康隆のパプリカでは、本の中の虚構は「夢」に相当し、「夢」の中のとんでもない出来事が現実化していく構図をとる。

ハルヒの場合は、ハルヒの願望が「虚構」に相当し、それが学園生活を浸食し、非日常化する構図を取っている。

攻殻機動隊は、もうちょっとややこしく、電脳や擬体等をキーワードにして、虚構と現実の境界がもっと曖昧に描かれている。


この「虚構」-「現実」の関係は、学習する組織に出てくる「メンタルモデル」-「現実世界」との関係に似ているところがある。学習する組織におけるメンタルモデルは、この世界から完全に独立したモデル要素ではなく、この現実世界に関与するモデルとして描かれている。
メンタルモデルに含まれる誤解や偏見を取り除くことに注意を払い、現実世界への関与の仕方をよりベターな方向へと向かうこと意図している。

攻殻機動隊の虚構と現実の曖昧な関係を転用すると、メンタルモデルと現実世界との境界はかなり曖昧なものであるとも解釈できる。(思考と現実を分ける境界はどこにあるのだろうか?そもそも、思考と現実を分離することを暗黙的に了承する根拠は、どこにあるのだろうか?と問うのも一考。)


違いもある。SF小説の虚構は、嘘っぱち。(もちろん将来、現実世界で嘘っぱちでなくなる実現化する可能性はある。)
僕がもっているメンタルモデルは、嘘っぱちではない。(もちろん、誤解や偏見というある種の嘘は含まれる可能性はある。)


すこし、混乱してきた。やっぱSFは、面白いね。


この辺の考え方のルーツって、どこなんだろうなと思うのだが、一つは、古典力学から相対性理論量子力学へのシフトした科学観かもと。

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

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フィールドブック 学習する組織「5つの能力」 企業変革をチームで進める最強ツール

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パプリカ (新潮文庫)

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全体性と内蔵秩序

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