存在と時間

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

理解度は低いが読み切った。2回。あと数回読み込まないと近づけなさそうだが、片鱗はつかめた。デカルト体系に徹底した対抗意識があるのは読み取れる。 世界=内=存在 という言葉が何度も出てくるが、内(in) という言葉の説明を引用で、この本が提示している世界観の片鱗を感じ取ってほしい。

内=存在は、空間的な意味で一方が他方の「なか」にあるという客体的関係を指すどころか、むしろ「内」はもともと決してそういう空間的関係を意味していないのである。「内」(in)は《innan》から派生した語で、これは「住む」(habitare)、「滞在する」ことである。「において」(an)は、「。。。。になれている」、「。。。に親しんでいる」、「。。。。を世話している」ということで、habito(住む) や diligo(愛着をもつ)という意味を含んだ colo(耕す)という語義を持っている。 ---p133


この本を読んでいると、オレゴン大学の実験に出てくる「参加の原理」、DDDに出てくる開発者と対象ドメインの関係性、小説:涼宮ハルヒの消失のモチーフの1つである主人公と(非)日常とのかかわり合いの変化など、色々連想した。