scrum-gathering-tokyo-2013 観てきた

http://www.slideshare.net/hiranabe/phronetic-leadership-and-agile-scrum-gathering-tokyo-2013

一番刺激されたのはこれ。間主観、相互主観等、身体知を予習しておいたおかげで、かなり具体的なシーンをイメージできながら聞けた。

ソフトウェアづくりは、自分とは違う他者と出会いながらある世界観が摺り合わせれていく。

プログラマは多くの時間をコードとの関わり合いに時間を費やす。コード-自分-同僚の関わり合い方をグッドにしていくことに注意を払う必要がある。ひどいコードは、ひどいプログラマー体験を生み、頭痛、怒り、冷笑などを引き起こす。
ユーザは多くの時間を(コードではなく)UIとの関わり合いに時間を費やす。UI-自分-他者の関わり合いをグッドにしていくことに注意を払う必要がある。ひどいUIは、ひどいユーザー体験を生み、頭痛、怒り、冷笑などを引き起こす。
他にもソフトウェアづくりにはいろんな登場人物がいる。

  • プログラマーは他者であるプログラマーの喜び/痛みをいかに知ることができるのだろうか?
  • POは他者であるユーザーの喜び/痛みをいかにして知ることができるのだろうか?
  • プログラマーは他者であるユーザーの喜び/痛みをいかに知ることができるのだろうか?
  • ユーザーは他者である作り手の喜び/痛みをいかにして知ることができるのだろうか?

そのヒントに、相互主観等、身体がある。他者の大切に考えていること、やりたいことを知る機会を生み、動くソフトウェアがつくられ使われるダイナミックな動きを作り上げていく、始めの入り口として Scrumは ヒントを与えてくれている。ただし、答えらしきものはほとんど提示していない。


余談:
「ひどいコードは、ひどいプログラマー体験を生み、頭痛、怒り、冷笑などを引き起こす。」は、野中先生の哲学背景から感じる、 doing >>> is の観点からちょっとうまく記述できていない感がある。はじめに「ひどいコード」が『ある』のではない。『人-コード-人- の関わり合いの運動』のある時点のスナップショットで、「ひどいコード」と呼ばれる体感を引き起こす、と書いた方が、よりうまく記述できた感がする。)