まちづくり入門に参加した。その3

セミナーに参加して、もう一冊連想したものを紹介。「自分が良いと感じた街や場所をグループで発表」の時に下の本を連想した。

あいだ (ちくま学芸文庫)

あいだ (ちくま学芸文庫)

主流の科学や工学がとったのは、(観察者の)主観をなるべく排除し、客観的に正確(定量的、数学的、論理的)に記述することにある。そうすれば、だれでも実験が再現できる、(だれも反論しようがない)論理の筋が通ると言った、共通の語彙となる。


対して、まちづくりが取っているのは、人の主観で良いと感じるものを重視している。おそらく上の記述アプローチでは、対象を的確に記述しえない(街の形雰囲気で良いと感じる感覚の描写)というポジションをとって、こちらを採用しているのだろう。ところが、個人的な主観のままでは、共通の語彙にはなりえない。複数人の相互作用が必要になってくる。


上で紹介した本の「間」では、グループで音楽をやる際おこなわれる現象が記述されていた。音楽の場合は、演奏した音が、演奏者自身と他の演奏者に伝わり、それが次の音を紡ぎだす。(ここら辺の描写が「間」には、うまく書かれていた。)
よい音楽を紡ぎだす演奏者同士の関係は、集団でよいものについて語り合い、その感覚を共有あるいは研ぎすます行為(そしてその方向へ向かおうとする行為)に似たものを感じた。
ソフトウェア開発のコンテキストで語るなら


プログラマ同士。プログラミング言語、ライブラリー、ツール、Code記述について感じた事を語り合う場。ペアプロ時には発生しやすい。

プログラマと顧客(あるいはエンドユーザー)。要件取りまとめ時、受入テスト時、デモ時の会話が鍵を握ると思われる。アレグザンダーの主テーマからすると、ここの関係が重要なキー要素と思われる。

ふりかえり時。プロジェクトの進め方について、チームで良いと思う感覚を、一歩引いて、落ち着いて、共有する場となる。


であろうか。


「間」に出てきた複数人の演奏の例では、後で音楽について語るシーンではなく、今まさに演奏しているシーンで互いの演奏者の音によって相互作用する様が描かれている。その意味では、今まさに、チームでソフトウェアをつくる/使用する行為を通じて暗黙的に、よい振る舞い、よいソフトウェアの形(UI, Code)というものが何なのかを共有し、その良い方向へ向かうものも含めた方がよいだろう。

語る/記述するという行為よりも、作成する/使用する行為を優先的にすると、暗黙知、身体知に向かう傾向が出るだろう。