ソースコードの濁り具合と開発者の心の濁り具合

つい最近、なべさん(熟練の開発者)に、ソースコードレビューしてもらった人が、「ソースコードが消毒されるにつれて(Clean Codeになるにつれて)、心もだんだんキレイに消毒されました!」のような感想を言っていた。ゲーテの観点からすると、ソースコードと開発者の関係をうまく表現している言葉だと思った。


- ソースコードの悪臭・濁り具合と開発者の心の濁りの具合には、相関関係があるか?
- リファクタリングによって、ソースコードがきれいになるにつれて、開発者の気分も Clean になるのか?


上の命題を証明するのに、どのような実験装置を設定すればよいか解らないが、
私は相関関係があると考えている。


ある一定の訓練を受けたプログラマであれば、ひどいコードに出会った時、苦痛を感じる。リファクタリングでは悪臭を臭いだ感覚として表現している。私の周りにいるプログラマは、悲痛の叫びを上げている。その苦痛を声・顔・体を使って表現しているのだ。(逆に Clean Codeに出会ったときの喜びを、声・顔・体を使って表現している)。


ソースコードの悪臭・濁り具合がひどい場合、開発の進捗を妨げる要因となるので、継続的なリファクタリング活動は欠かせない。
初心者と熟練者の間では、不吉な臭いを知覚できる頻度、そこからリファクタリング行動にうつる頻度には差がある。
ソースコードの(濁り|澄み)具合を知覚する感覚、濁りを取り除くステップの学習方法は未だ不明な点はあるが、初心者と熟練者でペアプロやレビューが有効な方法のようだ。